2018年ロシアワールドカップで、日本代表はトータルで1勝1分2敗のベスト16という結果で大会を去ることになった。この悔しい悔しい結果は受け容れ難い一方で、今大会の日本代表の姿は将来的なワールドカップ優勝へ向けた道筋を照らし出した。
直前の監督交代は思わぬ副産物をもたらす結果に
ハリルホジッチ監督が本大会で見せようとしたフットボールは今大会の潮流の一つといえるラインを低く設定し組織化された守備から縦に鋭いカウンターを放つものだったはずだ。
ボックスの中に8人や9人がいたらどんなチームでもそう簡単にゴールを奪えない。一方で分析力は十数年前とは比べ物にならない。どこでハメてカウンターを発動させるか、あるいはセットプレイの穴はどこか、チャンスがあることがわかっているのでより我慢がきくという側面もあるのではないだろうか。不思議とポゼッションをしている方が不利に見えるゲームもあった。
そういう意味では、ハリルJAPANのまま大会に臨んでいたらそれはそれでトレンドに乗っかってアップセットを起こしていた可能性もある。だが、それではあくまでも一過性のものに過ぎない。ベスト16が関の山だろう。そして、次の大会は果たしてどのように戦えばいいのか、ネームバリューや時流に合わせた新監督を連れてきて、丸投げになっていただろう。
西野朗監督が“オールJAPAN"体制で開き直って彼らしい攻撃的なパスサッカーを志向し、望外の結果を残したことで、2014年の惨敗を受けて見失ってしまったはずの日本人の特長を活かした日本サッカーでも勝てるとわかった。これは今後を考えると何よりも大きい。
2002年は地の利を活かして、2010年は直前に諦めて現実的なサッカーに切り替えて勝利を拾った。今回、初めて日本が目指してきたサッカーで確かに勝つことができた。結果は10人の相手に1勝をしただけではある。だが、結果と内容を総合的に判断すれば日本にとってこれまでで最高のワールドカップであったといえる。
日本らしい日本人好みのフットボールのままでいい
日本らしい日本人好みのフットボール。それは中盤の選手が主人公のキャプテン翼から始まっている攻撃的なパスサッカーだ。これがベースになる。日本人はバルサ好きが多い。ティキタカが好きだ。憧れを抱いている。大空翼も現在はFCバルセロナに所属している。
そして、セルジオ越後にロベルト本郷、ジーコとDNAが染み込んでいる、ブラジルの目指すフチボウ・アルチ(芸術的な攻撃サッカー)も大好きだ。
人は好きなものの方が熱くなれる。努力を惜しまない。努力を努力と思わずに取り組むフロー状態に入ることができる。嫌いなことをイヤイヤやらされるよりも、大好きなことに夢中で取り組んだ方がパフォーマンスが発揮できる。
とはいえ、人には向き不向きというものがある。いくら大好きで、努力を重ねたとしても成果が出せないこともある。果たして日本人にフットボールは向いているのか?攻撃的なパスサッカーは大和民族に適した形なのか?ワールドカップで勝てるのか?
このクエスチョンに対する答えが出た。イエスだったのだ。
DNA的に埋めがたい体格の差を減らす(ぼやけさせる)為には、コンタクトを避けてボールを動かす。できるだけ相手にボールを渡さない。勤勉で真面目、自己犠牲の精神を活かしてハードワークを厭わない、相手よりも多く走り攻守に絡み続ける。組織的な連動、和がもたらす集団の団結力。そして、敏捷性。これらの日本人の特性を最大限に発揮し、勝利の可能性を高める方法論こそが攻撃的なパスサッカーだったのだ。
10人の相手に勝利し、1勝を挙げただけで結果はこれまでと変わらないベスト16ではないかという声もあろうが、これまでのベスト16とはやはり趣が異なる。好きなだけでなく向いていると思われるやり方を貫いての結果という点が大きいのだ。岡田武史氏はテレビの解説で「石を横に積み上げる」という表現を使っていた。今回の石はこれからの礎となる大きな一石となった。
また、女子のW杯三世代制覇や99年のワールドユース準優勝もフットボールという競技で日本人による日本式サッカーで世界を狙える証左といえよう。
ワールドカップという山頂
但し、今回証明されたのはあくまでもベスト16へ進出できるという結果までだ。ベスト8以降、ましてや優勝となると果てしなく長い道のりが待っているようにも思える。
これまでの日本はワールドカップという山頂へどう登頂するか試行錯誤を繰り返していた。90年代に入るまでは、そもそも登山するという発想自体がなかった。85年に偶然視界に入ったことで、機運が高まった。
「もしかしてあの…山?登れるのか?」
そこからは、登山には何が必要なのかから準備が始まった。幸いにも資金は潤沢にあった為、「プロ化」というマストな装備がスピーディに整えられた。しかし、そう簡単な山ではない。93年には入り口まで来て踵を返すことになってしまった。やっとの思いで登山できることになった98年もあっという間に下山することになってしまい、中山雅史が足跡を一つ残すのが精一杯だった。
2002年には地の利を活かして五合目まで登ることに成功したが、そこから先のルートを考えていなかった。2006年、2014年は自分たちなりの方法で五合目以降を目指すも辿り着けず、2010年は理想を捨てて五合目まで行くことだけを追求して何とか足をかけた。
今回、2018年は史上初めて日本人の日本人らしい登り方で余裕をもって五合目まで登ることができた。山頂はまだまだ霞んでいたが、六合目や七合目を拝むことはできたのではないか。
何より、今回のベスト16進出で、山頂まで登頂する為に必要な装備と登頂ルートが明確になった。ルートを探したり、土壇場でルートを切り替えた時とは違う。ルートはもう決まった。あとはそこに向けて足りないものを準備して、鍛錬を重ねればいい。あとは登るだけだ。もう迷う必要はない。
優勝する為に必要な要素
では、優勝を目指す上で日本に足りないものはなんだろうか。あと何があれば、優勝に近づけるのであろうか。筆者が考えるのは以下の4つの要素である。
1、選手の育成(特に中央のポジション)
今大会、課題の一つであったGK(ベスト4に残っているチームのGKは安定もしていたし、チームを救うプレイも見せている)。
フィジカル化・アスリート化が進むフットボールの世界において直接的に対抗する高さと強さを兼ね備えたセンターバック。
ゴールを奪うという特別な才能(育成が難しく、天然物であることが多い)を持ったセンターフォワード。
これらのポジションだけは、日本人から自然と輩出するのが難しい。育成の量と質が求められる。安定的に供給できるものでもないので、これらのポジションに恵まれた年代は自ずとチャンスの年となる。
2、ゲームコントロール
筆者が10年以上前から指摘し続けている日本にとっての積年の課題がゲームコントロールだ。今回のベルギー戦でも2-0リードから逆転を許すという形でモロに出てしまった。
ゲームコントロールとは、何もスコアの話だけではない。ピッチ内のあらゆる状況を鑑みてその時その場面に適したプレイを選択し、実行することが求められる。天候を含めたピッチコンディション、敵味方のコンディション、フォーメーション、戦術、相手の出方、時間帯…とにかくありとあらゆる情報を拾い、処理し、対応していく必要がある。
しかも、チーム全員が同じ考えをもってプレイすることが求められる。予め用意していたプランを忠実に実行することに長けている日本人は、元来その場その場の柔軟な対応を苦手としている。フットボールにおいてこれは致命的だ。監督の指示を待っているようではダメだ。ブラジルやアルゼンチンのような南米のチームはこの要素が課題に上がること自体が無いというくらいに自然に染み付いている。
ジーコの勝利を求めるDNAが深く根付いている鹿島アントラーズが日本で最多のタイトルを獲得している理由の一つに、この部分が傑出しているということが挙げられるだろう。
日本人の好きな攻撃的なパスサッカーはあくまでもベースでしかない。ピッチで起きる予測不能な事象に柔軟に対応できなければ勝利はない。
なぜこの要素がいつまで経っても成熟してこないのか、わからない。意識的に磨いていく必要があるように思えてならない。
3、ピッチ外の要素(開催国、監督の采配)
極限レベルまで追求して磨き上げた攻撃的な日本らしいパスサッカー、センターのポジションに逸材が揃い、経験値を積んでゲームコントロールも磨かれた。ピッチ内の準備はできた。
となると、あとはピッチ外の要素だ。2030年のワールドカップは東アジア4ヶ国共催という報道も出ていた。再び地の利を活かすことができるとしたらこれはもう願ってもない大チャンスである。そして、短期決戦のワールドカップでは閃きや奇策も効果的だ。采配で違いを生み出せる勝負師タイプの監督の手腕も必要になってくる。
4、運
最後にはこれだ。ピッチ内外の要素を全て揃えて人事を尽くして天命を待つ。当然だが、日本はまだまだ列強には及ばない。歴史の差はいかんともし難いものがある。リーグ戦をやったら千年経っても優勝はできないかもしれない。
だが、ワールドカップは最大で7試合のトーナメントである。何が起こるかわからない。運を引き寄せる準備をしておけば、決勝トーナメントでの対戦相手に恵まれたり(相手は延長戦を戦って長距離移動で主力が出場停止など)、なんてこともあるかもしれない。試合中にラッキーなアクシデントがあるかもしれない。
勝負は時の運ともいう。そう言えるような状況まで準備をしておくことだ。
国民一人一人の小さな努力
ここからは私言です。
正直にいって、30年間フットボールが人生の中心にあり続けていたが、これまで日本のワールドカップ優勝を翼くん以外で本気で思えたことはなかった。朧げながら夢のように考えてみたことはあったかもしれない。だが、今回のロシア大会を経てからは夢ではなく現実の目標になった。
選手でなくてもいい、監督やコーチでなくてもいい。審判でもシューズ販売員でなくてもいい。サポーターでなくてもいい。一人でも多くの人にこのスポーツに興味を持ってもらいたい。その人の息子や娘がやがてフットボールにかかわってくれるかもしれない。その子に影響を受けてサッカーを始めた子がプロになるかもしれない。プロを支える人になるかもしれない。
一人一人が置かれた立場で、この国のフットボールの未来を考えてもらう。それがやがて元気玉のような大きな力となって、ワールドカップ優勝を掴み取るのだ。少なくともこれまでの優勝国にはそういった過程があったはずだ。
フットボールが好きな人は信じてほしい。信じて邁進してほしい。まわりの人にも薦めてほしい。フットボールのある人生は楽しいって。
興味を持ってくれた人はどうか、好きになってほしい。
そんなキッカケを小さくてもいいから作っていきたいですね。私は。
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